、久保氏の勧めで当時面白く読んだものである。久保氏は私たちの仲間で博識家として知られていたが、私がフランスの書物を多く読むようになったのは、深田康算先生とこの久保氏との影響であった。あの頃読んだもので特に思い出すのはポール・グゼルの録したロダンの言葉である。後に叢文閣から高村光太郎氏の編訳で『ロダンの言葉』、『続ロダンの言葉』が出た時、私は早速求めたが、当時を思い出したためである。フロベールの書簡は、深田先生が、お訪ねすると、いつも面白いと話されるので、私も読んでみたが、なるほど面白かった。深田先生はまた、アナトール・フランスが好きであったようで、お訪ねするとやはりその話がよく出たものである。その頃私の見たのは『エピクロスの園』くらいであったが、後にパリの下宿で一時アナトール・フランスのものばかり読みふけったことがあるのは、深田先生の話がいつか私の頭に染みていたせいもあるであろう。その下宿は知らずしてアナトール・フランスの家の近くにあったが、ちょうど私のパリにいた時に彼は死んで、私は安倍能成氏と一緒にその葬式に行った。何かの因縁というものであろうか。そういうわけで、今は亡き深田先生のこ
前へ 次へ
全74ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング