『講座』という雑誌にキェルケゴール論を書いたきりで自殺してしまったのは惜しいことであった。
 すでにいったごとく、東京では新しい時代が活発に動いていたが、京都はまだどこかのんびりしたところがあった。ベートーヴェン通をもって任じていた久保氏が来てから、私たちの仲間では音楽を語ることが盛んになった。日高第四郎君なども非常なベートーヴェン崇拝者であった。そうした影響で、私はロマン・ローランの『ベートーヴェン』を読んでこの作家に親しむようになり、その『ミケランジェロ』や『トルストイ』を読み、さらに『ジャン・クリストフ』に手をつけた。ベートーヴェンで思い出すのは、ハイデルベルクの初めの下宿の主婦がドイツ語の勉強のために紹介してくれたドクトル――その名は忘れてしまった――がまたベートーヴェン研究の専門家で、ドイツ語の稽古にベートーヴェンの文章を使用するという、いささか無法なことをするほどベートーヴェンに熱中していたことである。しかしそのおかげで買ったベートーヴェンの手紙や文章、同時代人の記録を編輯したアルベルト・ライツマンの二巻の『ベートーヴェン』は、今も私は愛蔵している。ベルリオーズの書簡なども
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