にもひしひし感じられた。京都はまだ比較的静かであったが、『貧乏物語』で有名になられた河上肇博士が次第に学生たちの注意を集めていた。
このような動きに対して私は無関心ではなかったが、その中に入ってゆく気は生じなかった。また一灯園や「新しい村」の運動にも十分に興味がもてなかった。私はなお数年間、いわば嵐の前の静かな時を過したのである。当時私は古典派ないし教養派であり、ギリシア悲劇などしきりに読んでいた。グロートの『ギリシア史』を繙き、ブルクハルトの『イタリア文芸復興期の文化』を読み、ダンテとかリオナルド・ダ・ヴィンチとかに心を惹かれていた。そういう点で私は林達夫と最もうまが合った。京都時代を通じて文学書のうち私の最も熱心に読んだのは詩であったであろう。その頃有島武郎氏らの影響でホイットマンが流行していたが『草の葉』は私にも忘れられない詩集である。ヴェルレーヌ、ボードレール、ヴェルアーランなど、ゲーテやハイネなど、みな好きであったが、私の特に愛したのはジャムであった。日本の詩人では、白樺派の影響もあったであろう。千家元麿が好きであった。先だって東北へ旅行した時、改造文庫の『千家元麿詩集』を
前へ
次へ
全74ページ中46ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング