えることができるであろう。ともかく私自身、歴史哲学の研究においても、新カント派から出発して、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなどのドイツ浪漫主義の哲学に進んでいった。シェリングの哲学には特別の親しみを感じていた。シュライエルマッヘルの『宗教的講演』や『独語録』は感激をもって読んだ。そこに青春の浪漫的心情の満足を求めようとしたということもあったであろう。
しかしその頃、私が学園で平和な生活を送っている間に、外の社会では大きな変動が始まっていた。あの第一次世界戦争を機会として日本の資本主義は著しい発展を遂げたが、私の大学を卒業した大正九年は、それが未曽有の大恐慌に見舞われた年として記憶される年である。このような変化に応じて思想界にも種々新しい現象が現われた。大正七年の末、東大には新人会という団体が出来た。『改造』――すでにこの名が当時の社会にとって象徴的である――が創刊されたのは大正八年のことであったと思う。同じ年にまた長谷川如是閑、大山郁夫氏らの『我等』が創刊されている。主として『中央公論』によった吉野作造博士の活動が注目された。これらの雑誌は私も毎月見ていたので、ある大きな波の動きが私
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