らに別の方向をとって存在していた。新カント派が全盛になる以前、広く流行したオイケン、ベルグソンの「生の哲学」がそれであったと見られるであろう。生の哲学の流れは新カント派が隆盛を極めてからもわが国には根強く存在していたのであって、西田先生の哲学などもそれに属するといい得るであろう。
私自身はその頃どちらかというと学究派であった。オイケン、ベルグソン時代にも私はその圏外に立っていた。しかし私は西田先生の影響を通じて生の哲学につながっていた。ベルグソンは学校の演習で西田先生から『創造的進化』を習ったのを初め、その著書を読んだが、オイケンのものはほとんど何も読まないでしまった。ベルグソンの面白さは近年になって分るようになったが、オイケンはその後もほとんど読まず、読み始めても中途でやめてしまった。一高から京都へ来た私の友人には、谷川徹三、林達夫、小田秀人など、文学派が多かった。もっとも林は少し違っていて、深田先生や波多野先生らの教養を理想としていたようであったが、谷川や小田は思想的にも生の哲学に属していて、私もある程度それに影響された。大学三年生の時、私は一年近くかなり熱心に詩を作ったことがあ
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