ら親しんでいた。いったい三木という姓は私の地方には多く、播州三木城の別所氏が豊臣秀吉に滅ぼされた時、家臣たちが亡命して身を晦《くら》ますために元の姓を秘してその土地の名をとり三木と称したのに始まると伝えられている。中学の頃には『廃園』、『寂しき曙』の中の露風の詩を愛誦したが、トラピスト修道院に入ってからのこの人の詩はあまり見ていない。歌ではやはり白秋の作品が最も好きであった。吉井勇の歌も好んで読んだ。歌といえば、私はその時分かなり熱心に稽古したことがあり、竜野中学の校友会雑誌には当時私の作った歌がいくつか残っているはずであるが、作歌の上で特に影響を受けたのは、その時代の多くの青年に普通であったように、若山牧水であったであろうか。
四
中学時代、私の得意としたものがあるとすれば、それは歴史であった。中にも山路愛山の史伝類をよく読んだが、特に『常山紀談』とか『日本外史』とかを愛読した。その頃は漢文も私としては得意とするものであったが、経書よりも史書を見ることが好きであった。竜野の脇坂藩の儒者で本間貞観という先生が私どもの中学に教えに来られていた。ところでまた藤岡に誘われて
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