因は波多野先生の感化にあるといえるであろう。
二年生の時、田辺元先生が東北から東京へ来られたことも、私の成長にとって重要なことである。ドイツ観念論の哲学について理解を深めることができたのは先生のおかげである。私は先生に就いて自分の考えを鍛えていただいた。今は亡き深田康算先生からはさらに別の影響を受けた。深田先生はケーベル博士の伝統を最も純粋に継がれた方で、私は先生において真の教養人に接することができた。その頃先生は特にフランスのものに興味を持たれていたらしく、お訪ねすると、テーヌとかアナトール・フランスとかジョルジュ・サンドとか、フロベールとか、ブリュンティエールとか、いろいろフランス人の話が出るのがつねであった。その時分、私の読書の範囲は主としてドイツの哲学書であって、広くフランスのものにまで手が廻らなかったが、フランスの文学や思想に憧憬を感じ、外国に留学した時にもパリに行くことを考えたのは、深田先生の感化によることである。
私の青年時代は日本の文学や思想において自然主義に対する反動もしくは自然主義の克服としてヒューマニズムが現われた時代であった。私はその流れの中で成長したのである。このヒューマニズムというものの意味は広く、種々の形をとって現われた。そして私はそのすべてから多かれ少なかれ影響を受けた。
それは先ず教養という観念を作り出した。その方向において私は高等学校のとき阿部次郎氏の著書から影響されたが、大学時代になると、波多野先生や深田先生の講義、特にその談話とその人格から大きな感化を受けた。両先生のお宅へはしばしば伺ったが、いつも親しくくつろいでいろいろ話していただくことができたのは私の学生生活における楽しい思い出である。
次にこのヒューマニズムは一層宗教的な形をとって現われた。西田天香氏の一灯園の運動とか倉田百三氏の文学がそれである。私もその影響を受けたが、私にとってはその影響は一時的であった。
第三の方向は白樺派で、武者小路実篤氏の新しい村の運動がある。私の友人でやはり京都の哲学科に来ていた一高出身の谷川徹三、日高第四郎、学習院出身で美学を専攻していた園池公功らは白樺派の人々に接近していたので、私も誘われて、新しい村の講演会を聴きに行ったこともある。武者小路氏の文学は以前から好きで読んでいた。有島武郎氏がホイットマンをしきりに言われていたのもその頃で、有島氏はその時分京都の同志社大学にときどき来て講義をされていた。谷川らに誘われて有島氏の宿を訪ねたこともある。私も一時は有島氏の熱心な読者であった。やはり一高から来ていた小田秀人も白樺派に傾倒していた。有島氏に接近していた人に、さらに一高から来て京都の経済科にいた八木沢善次があった。その頃有島氏は次第に人道主義的社会主義に移りつつあったが、京都の経済科の河上肇博士はもとの伊藤証信氏の無我愛に熱中されたことがあるというが、その頃はまだ人道主義的社会主義を多く出なかったようである。いずれにしてもヒューマニストの関心が社会問題に移っていったのは注目すべきことであった。
第四に、このヒューマニズムの傾向は学究的な人々の間で「教養」という観念から「文化」という観念に変り「文化主義」などという言葉もできた。新カント派の価値哲学、文化哲学がその基礎になったのであって、桑木先生とか左右田先生とかがその代表者であった。その頃「文化住宅」とか「文化村」とかいう、大正時代の一つの象徴である安価な文化主義が、哲学者たちの意図とは別に、流行になっていた。
思想の方面においてはヒューマニズムの流れはさらに別の方向をとって存在していた。新カント派が全盛になる以前、広く流行したオイケン、ベルグソンの「生の哲学」がそれであったと見られるであろう。生の哲学の流れは新カント派が隆盛を極めてからもわが国には根強く存在していたのであって、西田先生の哲学などもそれに属するといい得るであろう。
私自身はその頃どちらかというと学究派であった。オイケン、ベルグソン時代にも私はその圏外に立っていた。しかし私は西田先生の影響を通じて生の哲学につながっていた。ベルグソンは学校の演習で西田先生から『創造的進化』を習ったのを初め、その著書を読んだが、オイケンのものはほとんど何も読まないでしまった。ベルグソンの面白さは近年になって分るようになったが、オイケンはその後もほとんど読まず、読み始めても中途でやめてしまった。一高から京都へ来た私の友人には、谷川徹三、林達夫、小田秀人など、文学派が多かった。もっとも林は少し違っていて、深田先生や波多野先生らの教養を理想としていたようであったが、谷川や小田は思想的にも生の哲学に属していて、私もある程度それに影響された。大学三年生の時、私は一年近くかなり熱心に詩を作ったことがあ
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