それから生じ易い危険を逃れる手近な方法は、できるだけ簡単に、事実だけを記すということである。
中学を出ると、私はひとりぼっちで東京のまんなかに放り出された。一高に入学した私は、そこに中学の先輩というものを全くもたなかった。そして私はまた卒業するまでそこに中学の後輩というものを全くもたないでしまった。かようなことがわが国の特殊な社会事情において、ことに田舎から出て来た一人の青年にとって何を意味するかは、読者の想像し得ることであろう。そのうえ私の家には東京に知人というものがまるでなかった。その頃は九月の入学であったが、叔父が紹介してくれた保証人に挨拶に行くという父と一緒に途中暴風雨のために東海道線が不通になったので、中央線を廻ってたくさんのトンネルを抜け、油煙と汗とに汚れて、飯田町の駅に降りた時の気持は今も忘れることのできないものである。後には次第に学校の友も出来たが、私の心はほとんどつねに孤独であった。田舎者の私は、特に父の血をうけて、交際ははなはだ不得手であった。学校の寄宿舎で暮して、町に知った家がなかった私には、家庭生活の雰囲気に触れることも不可能であった。結局私は、東京に住むようになってからも、いつまでも孤独な田舎者であったのである。
こうした孤独には多分に青春の感傷があったであろう。孤独な青年が好んでおもむくところは宗教である。むしろ宗教的気分というものである。宗教的気分はいまだ宗教ではない。それは宗教とは反対のものでさえある。宗教的気分がつねに多かれ少なかれ感傷的であるのに反して、宗教そのものはかえって感傷を克服して出てくるものである。自分で宗教的であると考えることそのことがすでにひとつの感傷に過ぎぬ場合がいかに多いであろう。高等学校時代を通じて私が比較的たくさん読んだのは宗教的な書物であった。それも何ということなく、いろいろのものを読んでいる。キリスト教の本も読めば、仏教の本も読む。日蓮宗の本も読めば、真宗の本も読む、また禅宗の本を読むこともあるという風であった。そうして一種の宗教的気分に浸るということが慰めであるように感じられた。今にして考えると、青春の甘い感傷に属するに過ぎぬものが多い。もちろん私は甘さというものを一概に無価値であるなぞと考えるのではない。それはともかく十分に日本的であるということができるであろう。『聖書』は繰り返して読んで、そのつ
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