ると定義することができるであらう。
自然は藝術を模倣するといふのはよく知られた言葉である。けれども藝術を模倣するのは固有な意味においては自然のうち人間のみである。人間が小説を模倣しまた模倣し得るのは、人間が本性上小説的なものであるからでなければならぬ。人間は人間的[#「人間的」に傍点]になり始める否や、自己と自己の生活を小説化し始める。
すべての人間的[#「人間的」に傍点]といはれるパッションはヴァニティから生れる。人間のあらゆるパッションは人間的[#「人間的」に傍点]であるが、假に人間に動物的[#「動物的」に傍点]なパッションがあるとしても、それが直ちにヴァニティにとらへられ得るところに人間的なものが認められる。
ヴァニティはいはばその實體に從つて考へると虚無である。ひとびとが虚榮といつてゐるものはいはばその現象に過ぎない。人間的なすべてのパッションは虚無から生れ、その現象において虚榮的である。人生の實在性を證明しようとする者は虚無の實在性を證明しなければならぬ。あらゆる人間的創造はかやうにして虚無の實在性を證明するためのものである。
「虚榮をあまり全部自分のうちにたく
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