ソクラテスは懷疑が無限の探求にほかならぬことを示した。その彼はまた眞の悲劇家は眞の喜劇家であることを示したのである。

 從來の哲學のうち永續的な生命を有するもので何等か懷疑的なところを含まないものがあるであらうか。唯一つの偉大な例外はヘーゲルである。そのヘーゲルの哲學は、歴史の示すやうに、一時は熱狂的な信奉者を作るが、やがて全く顧みられなくなるといふ特質を具へてゐる。この事實のうちに恐らくヘーゲルの哲學の祕密がある。

 論理學者は論理の根柢に直觀があるといふ。ひとは無限に證明してゆくことができぬ、あらゆる論證はもはやそれ自身は論證することのできぬもの、直觀的に確實なものを前提し、それから出立して推論するといはれる。しかし論理の根柢にある直觀的なものがつねに確實なものであるといふ證明は存在するであらうか。もしそれがつねに確實なものであるとすれば、何故にひとはその直觀に止まらないで、なほ論理を必要とするであらうか。確實なものの直觀があるばかりでなく、不確實なものの直觀があるやうに思はれる。直觀をつねに疑ふのは愚かなことであり、直觀をつねに信じるのも至らぬことである。そして普通にいはれる
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