の言葉で表はされたものは更に無數の要素に分解することができる。それら無數の要素は互に關係してゐる。また人間といふものも、その身體も、その精神も、それらの要素と同じ秩序のものに限りなく分解することが可能である。そして一つの細胞にとつて他のすべての細胞は條件であり、一つの心象にとつて他のすべての心象は條件である。これらの條件は他のあらゆる條件と關係してゐる。かやうにどこまでも分解を進めてゆくならば、條件以外に何等か人間そのものを發見することは不可能であるやうに思はれる。私は自己が世界の要素と同じ要素に分解されてしまふのを見る。しかしながらそれにも拘らず私が世界と異る或るものとして存在することは確かである。人間と人間の條件とはどこまでも異つてゐる。このことは如何にして可能であらうか。
 物が人間の條件であるといふのは、それが虚無の中において初めてそのやうな物として顯はれるといふことに依つてである。言ひ換へると、世界――それを無限に大きく考へるにせよ、無限に小さく考へるにせよ――が人間の條件であることにとつて虚無はそのアプリオリである。虚無といふ人間の根本的條件に制約されたものとして、それ自身虚無に歸し得るもの、いな、虚無であるものとして、世界の物は人間の條件である。かやうにして初めて、人間は世界と同じ要素に、それらの要素の關係に、限りなく分解され得るにしても、人間と世界との間に、人間と人間の條件との間に、どこまでも區別が存在し得るのである。虚無が人間の條件の條件でないならば、如何にして私の自己は世界の要素と根本的に區別される或るものであり得るであらうか。

 虚無が人間の條件或ひは人間の條件であるものの條件であるところから、人生は形成であるといふことが從つてくる。自己は形成力であり、人間は形成されたものであるといふのみではない、世界も形成されたものとして初めて人間的生命にとつて現實的に環境の意味をもつことができるのである。生命はみづから形として外に形を作り、物に形を與へることによつて自己に形を與へる。かやうな形成は人間の條件が虚無であることによつて可能である。
 世界は要素に分解され、人間もこの要素的世界のうちへ分解され、そして要素と要素との間には關係が認められ、要素そのものも關係に分解されてしまふことができるであらう。この關係はいくつかの法則において定式化することができるであらう。しかしかやうな世界においては生命は成立することができない。何故であるか。生命は抽象的な法則でなく、單なる關係でも、關係の和でも積でもなく、生命は形であり、しかるにかやうな世界においては形といふものは考へられないからである。形成は何處か他のところから、即ち虚無から考へられねばならぬ。形成はつねに虚無からの形成である。形の成立も、形と形との關係も、形から形への變化もただ虚無を根柢として理解することができる。そこに形といふものの本質的な特徴がある。

 古代は實體概念によつて思考し、近代は關係概念或ひは機能概念(函數概念)によつて思考した。新しい思考は形の思考でなければならぬ。形は單なる實體でなく、單なる關係乃至機能でもない。形はいはば兩者の綜合である。關係概念と實體概念とが一つであり、實體概念と機能概念とが一つであるところに形が考へられる。

 以前の人間は限定された世界のうちに生活してゐた。その住む地域は端から端まで見通しのできるものであつた。その用ゐる道具は何處の何某が作つたものであり、その技倆はどれほどのものであるかが分つてゐた。また彼が得る報道や知識にしても、何處の何某から出たものであり、その人がどれほど信用のできる男であるかが知られてゐた。このやうに彼の生活條件、彼の環境が限定されたものであつたところから、從つて形の見えるものであつたところから、人間自身も、その精神においても、その表情においても、その風貌においても、はつきりした形のあるものであつた。つまり以前の人間には性格があつた。
 しかるに今日の人間の條件は異つてゐる。現代人は無限定な世界に住んでゐる。私は私の使つてゐる道具が何處の何某の作つたものであるかを知らないし、私が據り所にしてゐる報道や知識も何處の何某から出たものであるかを知らない。すべてがアノニム(無名)のものであるといふのみでない。すべてがアモルフ(無定形)のものである。かやうな生活條件のうちに生きるものとして現代人自身も無名な、無定形なものとなり、無性格なものとなつてゐる。
 ところで現代人の世界がかやうに無限定なものであるのは、實は、それが最も限定された結果として生じたことである。交通の發達によつて世界の隅々まで互に關係附けられてゐる。私は見えない無數のものに繋がれてゐる。孤立したものは無數の關係に入ることによつて極めてよく限
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