である。
すべての名譽心は何等かの仕方で永遠を考へてゐる。この永遠といふものは抽象的なものである。たとへば名を惜しむといふ場合、名は個人の品位の意識であり、しかもそれは抽象的なものとしての永遠に關係附けられてゐる。虚榮心はしかるに時間的なものの最も時間的なものである。
抽象的なものに對する情熱によつて個人といふ最も現實的なものの意識が成立する、――これが人間の存在の祕密である。たとへば人類といふのは抽象的なものである。ところでこの人類といふ抽象的なものに對する情熱なしには人間は眞の個人となることができぬ。
名譽心の抽象性のうちにその眞理と同時にその虚僞がある。
名譽心において滅ぶ者は抽象的なものにおいて滅ぶ者であり、そしてこの抽象的なものにおいて滅び得るといふことは人間に固有なことであり、そのことが彼の名譽心に屬してゐる。
名譽心は自己意識と不可分のものであるが、自己といつてもこの場合抽象的なものである。從つて名譽心は自己にとどまることなく、絶えず外に向つて、社會に對して出てゆく。そこに名譽心の矛盾がある。
名譽心は白日のうちになければならない。だが白日とは何か。抽象的な空氣である。
名譽心はアノニムな社會を相手にしてゐるのではない。しかしながらそれはなほ抽象的な甲、抽象的な乙、つまり抽象的な社會を相手にしてゐるのである。
愛は具體的なものに對してのほか動かない。この點において愛は名譽心と對蹠的である。愛は謙虚であることを求め、そして名譽心は最もしばしば傲慢である。
宗教の祕密は永遠とか人類とかいふ抽象的なものがそこでは最も具體的なものであるといふことにある。宗教こそ名譽心の限界を明瞭にするものである。
名譽心は抽象的なものであるにしても、昔の社會は今の社會ほど抽象的なものでなかつた故に、名譽心はなほ根柢のあるものであつた。しかるに今日社會が抽象的なものになるに從つて名譽心もまたますます抽象的なものになつてゐる。ゲマインシャフト的な具體的な社會においては抽象的な情熱であるところの名譽心は一つの大きな徳であることができた。ゲゼルシャフト的な抽象的な社會においてはこのやうな名譽心は根柢のないものにされ、虚榮心と名譽心との區別も見分け難いものになつてゐる。
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怒について
Ira Dei(神の怒)、――キリスト教の
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