う、「わが滅度ののち、末法のなかに、この魔民おほからん、この鬼神おほからん、この妖邪おほからん。世間に熾盛にして、善知識と称して、もろもろの衆生をして愛見の坑におとさしめん。菩提の路を失し、眩惑無識にして、おそらくは心を失せしめん。所過のところに、その家耗散して、愛見の魔となりて、如来の種を失せん。」
 ところで親鸞は拝天、祠鬼、占星等の迷信について論ずるに当り、特に『弁正論』を引いて、道家の思想を批判している。道家の思想は多く迷信を生ぜしめたからである。これに対して右の『論語』からの引用は鬼神に事《つか》えることの非なるを述べたものであり、親鸞が儒教のヒューマニズムを重んじたことが知られる。
 仏教と外教とはどこまでも区別されねばならぬ。道家のごときは虚無恬淡を説いて一見仏教の根本思想と等しいようであるが、これに対して親鸞は『弁正論』を引いて批判を加えている。儒教の説くところは正しいにしても、「ただこれ世間の善」に過ぎない。仏教は絶対的である。この絶対的真理に対してその余の教はすべて邪教である。『涅槃経』には道に九十六種があって、ただ仏の一道のみが正道であり、他の九十五種はみな外道で
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