真実の教と虚偽の教とを分別し決著して外教邪偽の異執を教誡する。『涅槃経』には「仏に帰依せん者はつゐにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ」といい、『般舟三昧経』には「みづから仏に帰命し、法に帰命し、比丘僧に帰命せよ。余道につかふることをえざれ、天を拝することをえざれ、鬼神をまつることをえざれ、吉良日をみることをえざれ。」といって、仏教徒の帰依すべきはただ仏と法と僧との三宝であり、もっぱら仏道につかえて、天を拝したり、鬼神をまつったり、日の吉凶を卜したりするがごときことをしてはならぬと教えている。かかる迷信は仏教の否定するところである。念仏者は鬼神を畏れることを要しない。「念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し、魔界外道も障礙することなし。罪悪も業報も感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆへに、無礙の一道なりと云々」と『歎異鈔』には記されている。迷信は何によって生ずるのであるか。『華厳経』には「占相をはなれて、正見を修習せしめ、決定してふかく罪福の因縁を信ずべし。」とある。迷信の生ずるのは正見を欠き、罪福の因縁を信じない故である。罪福の因縁
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