以後の記述に大乗教が次第に衰えて、やがて末法の時代に至ることを述べている。
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 もとより親鸞は末法の教説において時代に対する単に客観的な批判を見出したのではない。彼は決して単なる理論家、傍観者ではなかった。末法思想は彼においてあくまでも主体的に把握された。歴史を単に客観的に見てゆくことからは、そもそも末法思想のごときものは生まれないであろう。ただ客観的に見てゆけば、歴史における進歩といい退歩といっても、要するに相対的であり、進歩と退歩とは単に程度上のことで、進歩の反面には退歩があり、また退歩の反面には進歩があるということができる。末法思想は死の思想のごときものである。それは歴史に関する死の思想である。死は主体的に捉えられるとき初めてその問題性を残りなく現わすごとく、末法思想も主体的に捉えられるとき初めてその固有の性格を顕わにするのである。正像末の歴史観は親鸞にとって客観的な歴史叙述の基礎として取り上げられたのではない。「釈迦如来かくれましまして、二千余年になりたまふ 正像の二時はおはりにき 如来の遺弟悲泣せよ。」と親鸞は『正像末和讃』にいっている。単なる批判では
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