んや悪人をやといふべしとおほせごとありき。」『口伝鈔』第十九章。
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいはんや善人をやと。この条一旦そのいはれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆへは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむこころかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるをあはれみたまひて、願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もとも往生の正因なり。よて善だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらひき。」『歎異鈔』三章。
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  二 歴史の自覚

 人間性の自覚は親鸞において歴史の自覚と密接に結びついている。彼の歴史的自覚はいわゆる末法[#「末法」に傍点]思想を基礎としている。末法思想は言うまでもなく仏教の歴史観である正像末三時の思想に属している。我々はまずこの歴史観がいかなるものであるかを見よう。
 
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