かったのであろう。私は通学の途中、先生が散歩していられるのを折々見かけた。太い兵児帯を無造作に巻きつけて、何物かに駆り立てられているかのように、急いで大胯《おおまた》で歩いて行かれた。それは憑かれた人の姿であった。先生の哲学のうちにはあの散歩の時のようなひたむきなもの、烈しいものがあると思う。
二
西田先生の講義はいつも午後にあった。土曜日の午後の特殊講義は、京都大学の一つの名物になっていて、その時には文科の学生ばかりでなく卒業生も、また他の科の人々も聴きに来るので、教室はいつもいっぱいであった。私も入学してから外国に留学するまで五年間、先生の講義には休まないで出席した。先生はいつも和服であった。そして教壇をあちこち歩きながら、ぽつりぽつりと話された。時々立ち停って黒板に円を描いたり線を引いたりして説明される。その様子は、あの東京の哲学会で私が初めて先生の講演を聴いた時と同じであった。時には話がとだえて、教壇の上で黙って考え込まれる。そうかと思うと急に思索が軌道に乗ったかのように、せきこんで話される。いつもうつむいて話をされたが、急に目を上げて強度の近眼鏡の底から
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