的であるか抽象的であるかは、主として、この点にかかるのであって、それが認識の問題を取扱うか社会の問題を取扱うかというようなことによるのではない。
知識としての、あるいは教養としての、文化としての、もしくはイデオロギーとしての哲学の問題に先立って、現代の社会的精神的情況のうちにおける人間の可能なる生存理由としての哲学が問題にされねばならぬ。哲学することの倫理について、哲学者が根源的に問うことが何よりも要求されているのである。
[#地付き](『読売新聞』一九三三年四月十九日)
底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
1966(昭和41)年5月31日初版発行
1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
初出:「読売新聞」
1933(昭和8)年4月19日
入力:文子
校正:川山隆
2007年2月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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