うことよりもいっそう善いことででもあろうか。
 これらのことをいっそう注意深く考量するならば、まず、その理由を私の理解しない或るものが神によって作られるとしても、私にとって驚くべきことではないということ、またおそらくそれが何故に、あるいはどういう仕方で、神によって作られたかを私の把握しないさらに或る他のもののあるのを私が経験するというわけで、神の存在について疑うべきではないということ、が心に浮かんでくるのである。なぜなら私は、私の本性が極めて薄弱で制限されたものであり、神の本性はこれに反して広大で、把握し得ぬ、無限なものであることを既に知っているから、このことからまた私は十分に、その原因の私には知られていない無数のことを神はなし能うということを知るからである。そしてこのただ一つの根拠から私は、目的から引き出されるのをつねとする原因の類の全体は物理的なものにおいて何らの適用をも有しない、と私は思量するのである。というのは、私が神の目的を探究し得ると考えるのは向う見ずのことであるから。
 さらに、神の作品が完全なものであるかどうかを我々が尋求するたびごとに、或る一つの被造物を切り離してでは
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