が過つには、この目的のために神から賦与せられた或る能力が私に必要であるのではなく、かえって私が神から得ているところの真を判断する能力の私において無限でないことによって、私の過つことの生じるということを、理解するのである。
さりながら、このことは未だまったく私を満足させない。というのは、誤謬は純粋な否定ではなく、かえって欠存、すなわち何らかの仕方で私のうちに存しなくてはならなかった或る認識の欠乏であるからである。そして神の本性に注意するとき、その類において完全でない、すなわちそれに本来属すべき或る完全性の欠けている何らかの能力を神が私のうちに置いたということはあり得ないように思われる。なぜならもし、技術者がいっそう老練であればあるだけ、いよいよいっそう完全な作品が彼によって作り出されるとすれば、かの一切のものの最高の製作者によって、あらゆる点において完璧でない何ものが作られ得たであろうか。また神が私を決して過たないようなものとして創造し得たはずであるということは疑わしくないし、また神がつねに最も善いものを欲するはずであるということも疑わしくない。しからば、私が過つということは過たぬとい
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