れているもの、確実なものであり得るのである。
[#改丁]

     省察六

  物質的なものの存在並びに精神と身体との実在的な区別について。

 なお残っているのは、物質的なものが存在するかどうかを検討することである。そしてたしかに私は既に少くとも、それが、純粋数学の対象である限りにおいては、存在し得ることを知っている、たしかに私はそれをかかるものとしては明晰かつ判明に知覚するのであるから。なぜなら、神が私のこのように知覚し能うすべてのものを作り出す力を有することは疑われないことであり、また私は、どのようなものでも神によって、それを私が判明に知覚することは矛盾であるという理由によるほかは、決して作られ得ぬことはない、と判断したからである。さらに、私が物質的なものにかかずらう場合にそれを用いるのを私が経験するところの想像の能力からして、かかる物質的なものは存在するということが帰結するように思われる。というのは、想像力とはいったい何であるかをいっそう注意深く考察するとき、それは認識能力にまざまざと現前するところの、従って存在するところの物体に対する認識能力の或る適用以外のなにものでもな
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