せしめるべきことは必然的である、のと同様である。しかるに、いったいどのような図形が円に内接せしめられるかを私が考査するときには、すべての四辺形はこれに数えられると私が考えることは決して必然的ではない。否、私が明晰かつ判明に理解するものでなければ何ものも認容しようと欲しない限りは、私はかかるものを構像することさえ決してできないのである。従って、この種の偽の措定と私に生具する真の観念との間には大きな差異がある、そして後者の第一のかつ主要なものは神の観念である。なぜなら、実に、私は多くの仕方で、この観念が何か構像せられたもの、私の思惟に依存するもの、ではなく、かえって真にして不変なる本性のかたどりであることを理解するからである。すなわち、まず第一に、ただ神を除いて、その本質に存在が属するところのいかなる他のものも私によって考え出されることができないゆえに。次に、私は二つまたはそれ以上多数のこの種の神を理解することができないゆえに。そして、今かかる神が一つ存在すると措定すれば、彼は永遠からこのかた存在したし、また永遠に向って存続するであろうということが必然的であるのを私は明かに見るゆえに。そし
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