すなわちこの上なく完全な実有の観念をば、何らかの形体または数の観念に劣らず、私のうちに発見する。また私は、つねに存在するということが、神の本性に属することをば、或る形体または数について私の論証するものがこの形体または数の本性にまた属することに劣らず、明晰かつ判明に理解する。従って、たとい過ぐる数日私の省察した一切が真でなかったにしても、神の存在は私のうちにこれまで数学上の真理があったのと少くとも同じ程度の確実性にあるのでなくてはならなかったであろう。
もっとも、このことはたしかに、一見してはまったく分明ではなく、かえって或る詭弁の観を呈している。なぜなら、私は他のすべてのものにおいて存在を本質から区別することに慣れているゆえに、神の存在もまた神の本質から切り離されることができ、そしてかようにして神は存在しないものとして思惟せられることができる、と私は容易に自分を説得するからである。しかしながらいっそう注意深く考察するとき、神の存在が神の本質から分離せられ得ないことは、三角形の本質からその三つの角の大きさが二直角に等しいということが分離せられ得ず、あるいは山の観念から谷の観念が分離せら
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