消息一通 一九二四年一月一日 マールブルク
三木清

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《》:ルビ
(例)機《からくり》

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(例)第一流[#「第一流」に傍点]
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 新年お目出度う存じます。去年はハイデルベルクで迎へた正月を、今年はマールブルクで迎へました。大晦日の夜には悪霊を追払ふと云ふ意味で、昔独逸では戸外に盛んに発砲する習慣があつたさうです。今でも昔気質の人はこの夜十二時が打つと同時に、高い椅子の上から飛び降りると云ひます。新しい年の中へ勢よく飛び込むと云ふ意味ださうです。私は歳晩にあつて数年前に作つたひとつの歌をまた思ひ出しました。
   つかのまの熱と光を求めんと象牙の塔を焼きし日もあり
     *
 日本を出て来る前から、独逸ではヘーゲルの復興が行はれてゐることを私は聞いてゐました。いかにもヘーゲルに関する書物はかなり出てゐます。なるほど大学のゼミナールでは何処でも好んでヘーゲルを用ゐてゐます。しかし私たちを本当にヘーゲルの思想世界へ導いてくれる者はまだ見当らないやうに思ひます。――私にひとつの新しい独逸語を作らせて下さい――それらは凡てかの Hegelrei ではないでせうか。今の独逸でヘーゲルに関する学者としては、知識に於いてはミュンヘンのファルケンハイム、体系的な方面ではフライブルクのエビングハウスが第一流と見做されてゐます。第二線に立つ人々には、クローネル、ノール、ラッソン、ブルンシュテットなどがあります。ヴィンデルバントが『ヘーゲル主義の復興』と云ふ論文を書いたとき、彼はその頃新進気鋭のノールやエビングハウスを頭においてゐたと云はれてゐます。それ以来かなりの歳月は流れてゆきましたが、私たちのヘーゲルはカントがその当時もつたリープマン、ランゲほどの学者をさへもつ幸福にまだ逢つてゐないやうに思ひます。クローネル、エビングハウス、ハルトマンなどが等しくヘーゲルに就いての著述を企ててゐると云ふのも面白い現象です。これらの書物が出来ましたら、私も私たちのヘーゲルに関して纏つたことを書かせて戴きませう。
 同じやうに日本を発つ以前、独逸では歴史哲学や精神科学の基礎的考察が盛んになりつつあることを私はひとから聞かされてゐました。しかし私はこの方面に於いてもあまり多くを期待してゐたかも知れません。シュプランゲル、シュペングレル、ヤスペルスなどのものは面白く読まれますが、方法的思惟に於いても、対象的思惟に於いても、執拗な、根強い思索の統一力が欠けてゐはしないでせうか。この間にあつて、マックス・ウェーベルの経済学の方法論に関する論文集とマックス・シェーレルの倫理学の本とは、共に多少鮮かな特色をもつてゐて、何物かを私たちに教へてくれることが出来るやうにみえます。永い間待つてゐたトレルチの歴史哲学の書物が出ました。この書は現今の独逸の歴史哲学的研究の状態に対して第一流[#「第一流」に傍点]の徴候的著述であると思はれます。トレルチは彼の博識をもつて近代の歴史哲学的思想のあらゆるものを批評してゐます。けれど歴史哲学が如何なる地盤に立ち如何なる方向に進むべきかと云ふことに就いて、彼自身明確な、徹底した洞察を欠いてゐるために、千頁に近いこれらの批評も凡て宙に迷つてゐます。謂はば彼は近代の歴史哲学的思想家たちのもろもろの Geister をひとところに集めて弔ひをしてゐるのです。彼がこの盛んな弔ひをしてくれたことは、私たちには教訓の深いことでした。精神科学や文化哲学の基礎附けはこれまで試みられて来たとは全然別の途によつて新しく始められなければなりません。科学の学的性質を明証の伴ふ普遍妥当性として規定し、その根拠を求めてゆくと云ふ形式的な方法は、ある種の科学にとつてはその本質的な特性を毀すことになり、それが自然に成育してゆく形態を曲げることになりはしないかを私は疑ふのです。たとへ明証とか普遍妥当性とか云ふ概念を保存するにしても、これらの概念は新しい方法によつて作り更へられねばならぬのではないかと私は思ひます。昨年の十一月二十九日、フランクフルテル・ツァイトゥングにフリッツ・シュトリヒが、『現代に於ける精神歴史の本質と課題』と云ふ論文を寄せてゐました。シュトリヒは若い歴史学、殊に文学史や芸術史の傾向が Stil の歴史を目差してゐることを述べ、その代表者としてウェルフリンとグンドルフとを挙げました。新しい歴史学は「根本概念[#「根本概念」に傍点]のイデーと創造的発展のイデー」とによつて古いヒストリスムスを破壊しました。「根本概念」は永遠に人間的な、本質的な実体であつて、この実体は歴史的現象の中に無限の姿をとつて繰り返し現はれるのです。あらゆる時代、凡ての民族に於いて、相異なる、創造的なる実現の形式をとりながら、しかも絶えずめぐり来る統一がシュティルと呼ばるべきものです。「この精神的統一の認識が新しい歴史科学の精神」であるとシュトリヒは云つてゐます。若い歴史科学の問題は「嘗てひとたび在つたところのものでなく、つねに在るところのもの」であり、それは本質的に精神的なるもの、本質的に人間的なるもの、従つていつでも存在してゐるものに就いて物語ることである、と彼は主張します。シュトリヒの云ふところが新しいと云ふのではありません。しかしながらこの文学史家によつて新しく要求されてゐるものは、現代の多くの歴史哲学者がまた目差してゐるものであるやうに見えます。永遠に人間的なるものの生命のメロディーとリュトムスとを感得しようと云ふのが人々の切実な要求であるのでせう。若い人たちの間に切りにキェルケゴールが読まれてゐるのも私はこの要求のひとつの現はれであるとみたいのです。しかしながら歴史をひとつの生命の現はれであるとして考へるに当つても、ここにいふ生命は単なる生命ではなくて、ひとつの歴史的[#「歴史的」に傍点]生命であると云ふこと、そしてこの「歴史的」と云ふことが恰も私たちの問題になるのだと思ひます。従つて歴史的生命をひとつの有機的[#「有機的」に傍点]生命のアナロギーに依つて考察すると云ふことは、やはり「本質的に歴史的なるもの」を取逃すことになりはしないでせうか。歴史科学の課題をひとつの Morphologie と解することは、その前提に於いて矛盾を犯してゐると思ひます。例へば有機体とのアナロギーに依つて、社会に目的関係の存在することを論断しようと云ふのは、むしろ正当な論理的順序に逆行するものではないでせうか。目的、機能または構造の関係は、歴史的社会的現実に於いてこそ実際に体験され、到る処追跡し得るに反して、有機体の領域に於いては却つてこれらの関係は、単に仮説的な補助方法に過ぎません。それ故に有機体の概念を歴史的事実の研究の指針とするのでなく、むしろ自然研究が社会的事実のアナロギーを用ゐるのが当然であるとみられねばなりません。自然哲学的思弁を歴史の解釈の中へ導き入れるほど危険なことはないでせう。
     *
 こちらへ来て私が特に感じるのは、学問が大きな根を張つて成長してゐると云ふことです。私は学問を視、学問に触れることが出来ます。それは多数の大学を視、沢山の書物に触れることが出来ると云ふ意味ではありません。恰も私たちがひとの顔に於いて感情を視、ひとの手に於いて欲望に触れる[#「触れる」に傍点]ことが出来るやうに、私たちは大学やゼミナールや書物に於いてひとつの学問的意識[#「学問的意識」に傍点]を視たり、それに触れたりすることが出来るのです。私が到るところ学問的意識にぶつつかるのは、この学問的意識が生命をもち、自然の力によつて成長してゐるからでせう。芝居の言葉に「芸が板につく」と云ふことがあつたと思ひます。私がこちらの学者をみていつも思ひ出すのはこの言葉です。彼等の学問に無理がなく、歪められたところがないのは、彼等が凡てひとつの学問的意識の中に育つてゐるがためでせう。このやうな学問的意識が自然に成長して、あらゆる学問的現象の中にはたらくやうになるためには、永い間の歴史的背景が必要なことは固より云ふまでもないことです。この意味に於いて例へばハルナックの書いたプロイセンのアカデミーの歴史を繙くことも興味のあることでせう。しかしまた学問的意識の自由な、自然な成長発達を可能ならしめるやうな制度が出来てゐると云ふことも肝要なことであると思はれます。独逸の大学で学生に転学の自由が与へられてゐるのはそのひとつです。学生に聴講科目の自由な選択が許されてゐるのもそのひとつです。そのためにこちらの学生では、例へば哲学の学生であつて単に哲学だけを勉強してゐる者は極めて稀で、多くは他に副科目として、或ひは数学や自然科学、或ひは神学や歴史などの特殊科学を傍らに研究してゐます。学生と教授とゼミナールの三つがいつでも親密な関係を保つてゐると云ふのもそのひとつです。凡てのものが綜合的にはたらかなくてはなりません。例へばひとつのゼミナールの文庫をよくするためには、成長しつつある学者を必要とします。本当の研究に役立ち得る文庫は、真面目な研究者が自分の研究を進めてゆくに随つて必要を感じる書物を系統的に調べ集めることによつて初めて出来るのです。私は学問的意識の綜合作用[#「学問的意識の綜合作用」に傍点]が学問の成長してゆく条件であると考へずにはゐられません。学問の綜合的精神を発揮するための綜合大学の制度が、単に経済的管理を便宜にするため、中央集権的支配をe易にするため、或ひは学者が彼等の墻壁を堅固にするための機関となつてしまふのは恐るべきことであります。学問的意識の自由な綜合作用がはたらくときにのみ――私はかの Vielwisserei またはディレッタンティスムスを云つてゐるのではありません――特殊の[#「特殊の」に傍点]学問も栄えることが出来るのだと思ひます。アカデミケルが自己の本分を絶えず反省し、自覚してはたらくと云ふことは、学問的意識の発達のために単なる制度の問題以上に必要なことであるに相違ありません。フィヒテ、シェリング、シュライエルマッヘルなどの大思想家たちが、鮮かな人生観と世界観との上に立つて大学の本分に就いて論じてくれたことは、独逸の大学にとつてどれほど幸福な事実であつたでせう。中にもシェリングの『大学に於ける研究の方法』といふ講義は私の最も好んで読むもののひとつです。最近ヤスペルスが『大学のイデー』といふ冊子を世に出したのは面白いことでした。
 私は学問的意識の綜合作用と云ひました。この綜合のはたらきを理解することは、やがてまたその分化のはたらきを理解することであるでせう。学問的意識は歴史の世界の中に成立してゐます。従つて悟性の技巧的な概念によつて、或ひは単に理論上の可能性を数へることによつて学問を分類しようと云ふのは不可能なことではないかと私は思つてゐます。凡て学問の位置は論理学によつて決定されることではなく、あらゆる学問が発生し成長して来たところの根源を尋ね、各々の学問の諸々の根源のなかにはたらいてゐるひとつの綜合のはたらきを求め、この綜合の構造に各の根源を関係させることによつて初めて決定されるのではないでせうか。凡ての分類に必要な「類概念」と云ふ言葉の根源は、ギリシア語の「ゲノス」です。ゲノスは「ギグネスタイ」と云ふ動詞から来たので、この動詞は「成る」「生ずる」と云ふ意味をもつてゐます。即ち同じ生れ、同じ由来[#「由来」に傍点]をもつものが、ひとつの同じ類概念に包括される対象の領域を形作るのです。事物の由来は事物の本質に対して単に偶然的な事柄ではなく、むしろそれに対して構成的な意味をもつてゐると云ふのが、ゲノスと云ふ言葉に含まれてゐる「哲学」です。事物の由来が事物の実体的本質を構成すると云ふ謎を、私たちのアリストテレスは「ティ・エーン・エイナイ」と云ふ不思議な概念によつて解かうとしました。発生的方法は現代では心理主義若しくはヒストリスムスの名のもとに非難さ
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