てしまふのは恐るべきことであります。学問的意識の自由な綜合作用がはたらくときにのみ――私はかの Vielwisserei またはディレッタンティスムスを云つてゐるのではありません――特殊の[#「特殊の」に傍点]学問も栄えることが出来るのだと思ひます。アカデミケルが自己の本分を絶えず反省し、自覚してはたらくと云ふことは、学問的意識の発達のために単なる制度の問題以上に必要なことであるに相違ありません。フィヒテ、シェリング、シュライエルマッヘルなどの大思想家たちが、鮮かな人生観と世界観との上に立つて大学の本分に就いて論じてくれたことは、独逸の大学にとつてどれほど幸福な事実であつたでせう。中にもシェリングの『大学に於ける研究の方法』といふ講義は私の最も好んで読むもののひとつです。最近ヤスペルスが『大学のイデー』といふ冊子を世に出したのは面白いことでした。
私は学問的意識の綜合作用と云ひました。この綜合のはたらきを理解することは、やがてまたその分化のはたらきを理解することであるでせう。学問的意識は歴史の世界の中に成立してゐます。従つて悟性の技巧的な概念によつて、或ひは単に理論上の可能性を数へる
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