科学や文化哲学の基礎附けはこれまで試みられて来たとは全然別の途によつて新しく始められなければなりません。科学の学的性質を明証の伴ふ普遍妥当性として規定し、その根拠を求めてゆくと云ふ形式的な方法は、ある種の科学にとつてはその本質的な特性を毀すことになり、それが自然に成育してゆく形態を曲げることになりはしないかを私は疑ふのです。たとへ明証とか普遍妥当性とか云ふ概念を保存するにしても、これらの概念は新しい方法によつて作り更へられねばならぬのではないかと私は思ひます。昨年の十一月二十九日、フランクフルテル・ツァイトゥングにフリッツ・シュトリヒが、『現代に於ける精神歴史の本質と課題』と云ふ論文を寄せてゐました。シュトリヒは若い歴史学、殊に文学史や芸術史の傾向が Stil の歴史を目差してゐることを述べ、その代表者としてウェルフリンとグンドルフとを挙げました。新しい歴史学は「根本概念[#「根本概念」に傍点]のイデーと創造的発展のイデー」とによつて古いヒストリスムスを破壊しました。「根本概念」は永遠に人間的な、本質的な実体であつて、この実体は歴史的現象の中に無限の姿をとつて繰り返し現はれるのです。あ
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