これらのことを明かにするためには何よりも言葉と存在、言葉と認識との関係に関する徹底した洞察を必要とします。これらの問題に就いて纏ったことを書かうと私は思つたのではありません。フンボルトの後シュタインタール、そして近くはパウルを失つた独逸の言語学の理論的研究も、今は何だか寂しく感じられます。
     *
 マールブルクの冬はなかなかよく冷えます。しかし私は好んで散歩に出ます。ラーン河の向うには兎の喜びさうな、日あたりのいい小高い丘があります。数日前もオットー教授に連れられてこの丘を歩きながら、私は日本の話をしました。白樺の森など人なつかしいものです。またラーン河に沿うてゆくのも面白いことです。今日も私は賀茂川の堤を思ひ出し、数年前の幼稚な詩を思ひ起しました。
  憧れいでて野に来れば
  草短くて 涙すに
  よしもなけれど遥かなる
  もう思ふゆゑ嘆かるる。
      ×
  あかつき光薄うして
  寂しけれども 魂の
  さともとむれば川に沿ひ
  道行きゆきて還るまじ。
それではいつまでも元気でゐて下さい。雪が降ればまたお便りしませう。



底本:「日本の名随筆 別巻92・哲学」作品社
   1998(平成10)年10月25日第1刷発行
底本の親本:「三木清全集 第一巻」岩波書店
   1966(昭和41)年10月
入力:加藤恭子
校正:もりみつじゅんじ
2001年2月24日公開
青空文庫作成ファイル:
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