てしまふのは恐るべきことであります。学問的意識の自由な綜合作用がはたらくときにのみ――私はかの Vielwisserei またはディレッタンティスムスを云つてゐるのではありません――特殊の[#「特殊の」に傍点]学問も栄えることが出来るのだと思ひます。アカデミケルが自己の本分を絶えず反省し、自覚してはたらくと云ふことは、学問的意識の発達のために単なる制度の問題以上に必要なことであるに相違ありません。フィヒテ、シェリング、シュライエルマッヘルなどの大思想家たちが、鮮かな人生観と世界観との上に立つて大学の本分に就いて論じてくれたことは、独逸の大学にとつてどれほど幸福な事実であつたでせう。中にもシェリングの『大学に於ける研究の方法』といふ講義は私の最も好んで読むもののひとつです。最近ヤスペルスが『大学のイデー』といふ冊子を世に出したのは面白いことでした。
 私は学問的意識の綜合作用と云ひました。この綜合のはたらきを理解することは、やがてまたその分化のはたらきを理解することであるでせう。学問的意識は歴史の世界の中に成立してゐます。従つて悟性の技巧的な概念によつて、或ひは単に理論上の可能性を数へることによつて学問を分類しようと云ふのは不可能なことではないかと私は思つてゐます。凡て学問の位置は論理学によつて決定されることではなく、あらゆる学問が発生し成長して来たところの根源を尋ね、各々の学問の諸々の根源のなかにはたらいてゐるひとつの綜合のはたらきを求め、この綜合の構造に各の根源を関係させることによつて初めて決定されるのではないでせうか。凡ての分類に必要な「類概念」と云ふ言葉の根源は、ギリシア語の「ゲノス」です。ゲノスは「ギグネスタイ」と云ふ動詞から来たので、この動詞は「成る」「生ずる」と云ふ意味をもつてゐます。即ち同じ生れ、同じ由来[#「由来」に傍点]をもつものが、ひとつの同じ類概念に包括される対象の領域を形作るのです。事物の由来は事物の本質に対して単に偶然的な事柄ではなく、むしろそれに対して構成的な意味をもつてゐると云ふのが、ゲノスと云ふ言葉に含まれてゐる「哲学」です。事物の由来が事物の実体的本質を構成すると云ふ謎を、私たちのアリストテレスは「ティ・エーン・エイナイ」と云ふ不思議な概念によつて解かうとしました。発生的方法は現代では心理主義若しくはヒストリスムスの名のもとに非難さ
前へ 次へ
全11ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング