いては何ひとつまとまった物を買わないで浪費してしまうことになる。自分の才能を浪費しないようにすることが大切である。
 この数年来私はほとんど単行本を出していない。今年は単行本中心に仕事をしていって、せめて約束してあるものだけでも片づけねばならないと思っている。昨年は書き卸し長篇小説がだいぶん出たようであるが、長篇評論とか書き卸し評論とかということも年来いわれていることであって、しかもこの方はあまり実行されないのは何故であろうか。長篇に固有な滲透性について評論家も思想家も考えねばならぬ。
 わが長期建設策としてひとつの希望を述べるならば、それは民間アカデミズムというべきものを形成発展させることである。それはもちろん官学的ないし講壇的アカデミズムのようなものではない。わが国の文化史を見れば、民間アカデミズムは、たとえば徳川時代の儒者の間にも国学者の間にも存在したもので、それがかえってその時代の真のアカデミズムであった。今日官学や講壇のアカデミズムの頽廃が見られるとき、民間アカデミズムの擡頭こそわが国の文化の発達にとって重要な意義を有するものではなかろうか。
[#地付き](『都新聞』一九三九年一月九日)



底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
   1966(昭和41)年5月30日初版発行
   1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
初出:「都新聞」
   1939(昭和14)年1月9日
入力:文子
校正:川山隆
2007年1月3日作成
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