私の果樹園
三木清
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)産まぬ間《ま》に
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)籠《ざる》[#ルビの「ざる」は底本では「さる」]を
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豊かな果樹園をつくるのは
貴い魂にふさわしい仕事だ。
それは孕める羊が産まぬ間《ま》に
草原から草原へさまよい歩く
遊牧の民のことではない。
泣き叫ぶ声ききながら日の落ちぬ間《ま》に
村から村を襲うて狂う
暴虐な軍隊のことではない。
また次の骰が投げられぬ間《ま》に
町から町をかけめぐる
苛立《いらだた》しい都会人のことでもない。
豊かな果樹園をつくるためには、
たましいの思慮と優《やさ》しさと
堪え忍びと安けさとが必要だ。
それは天国を地上へもちきたす
聖なる魂にさえふさわしい仕事だ。
私も私の果樹園をつくろう。
大きく拡り深く根をはるドイツ語で
しっかりと伸びた果樹をつくり、
美しさと味とに富んだギリシア語で
彫刻的で生気ある実を結ばせよう。
賑かなイギリス語で草をはやし、
素樸なラテン語で垣をめぐらそう。
アッシリア語で風車をつくるもいい。
さてあるときはイタリア語で
暖いふくよかな風をそよがせ、
またあるときはフランス語で
エスプリと香気との風を吹かせよう。
して私は籠《ざる》[#ルビの「ざる」は底本では「さる」]をさげ、斧をかつぎ、
鋏をもち鎌をとって、
私の果樹園へはいってゆこう。
ホメロスを探そう、ヴィルヂルを尋ねよう。
ダンテ、ゲーテ、バイロン、ヴェルレーヌ。
聖なる言葉と美しい言葉とを尋ねよう。
しかし豊かな私の果樹園では、
愚なる言葉も醜い言葉も
みな一様に栄え茂っているから、
私のもとめる収穫はなかなか困難だ。
でも今年《ことし》の花はどこへ散ったのであろう。
来る年の草の芽はどこにもとめよう。
そして去年《こぞ》の雪はどこにたずねよう。
[#地付き](一九・一二・二五)
底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
1966(昭和41)年5月30日初版発行
1975(昭和50)年5月30日初版第14刷
入力:文子
校正:川山隆
2007年1月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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