行為の裏においてさえせせら笑いをしていなかったか。猜疑と嫉妬とが私の心から全然放逐されていると保証してくれる人があるであろうか。媚《こ》び諂《へつら》う心から生れた親切や同情やを私自身において経験しなかったといえようか。人に矯《あま》えるような愛、人に強《し》いるような愛、人を弱くしようとする愛、人をたかぶらせる愛、それらが私の生活になかったといえるか。私が最も純粋な愛としたものにおいてさえ、それが自己の優越の感じに擽《くすぐ》られようという動機によって濁らされていなかったと誇り得ないではないか。純粋で従って快活でありやすい友人や隣人に対しての愛において、すでに利己心や憎悪心や諂諛《てんゆ》や傲慢がそれの明るい拡りゆく自由さを失わせていたとすれば、婦人に対する愛や交りが本当に純潔であろうなどとは誰も信じないことである。私は二人の女において恋愛の関係に立ち、数人の女に対してそれに近い気持を味って来た。私の性的が動いて暗い影をそれらの恋愛や交際に蔽い被せた。かつて私を支配したデカダンがそれらにおいて頽廃の飽満を求めた。私の気紛れ、芝居気、皮肉、洒落《しゃれ》が強いて作った快活さが、エロティ
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