るならば、それはまだ本物でないか、まだ生れたばかりで力が足りないかのいずれかでなければならない。もし前者であるとするならば私は私の中に感ずるよきアーヌング(予感)に従って本物を見出すことに努力しなければならないし、もし後者であるとするならば、私はそれを培い育ててゆくことに骨折らねばならない。いずれにせよ懐疑や否定があり得ないほど現実の世界はよき状態に達していないのは事実である。そしてへりくだる心とは弱き心でなくして必然に強き心である。私はあまりに安逸を求め過ぎている。その門は大きく、その路は広く、これより入る者多きもこれを選ぶ人は悉く滅びに至るであろう。才能もあり智恵や徳もあった多くの人たちでさえ、もっと険しい道を通って来たのに、それらをもっていない私が安全な道に由って完全に至ろうということほど考え難いことがまたとあるであろうか。私は決して苦しみを恐れてはならない。

     五

 私と哲学との関係は上に述べたことと関連してやはり三段階を経て発展した。よくあるように私も最初は哲学というものは非常に高遠で奇抜なもののように考え、そしてそのような深邃なもの新しいものを知ろうという好奇心
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