反省の力の強さと深さとに本《もと》づき、しかして性格の強さと深さとは主としてそれらのものに本《もと》づくのである。私は陰鬱な型に属するセンチメンタリストがしばしば自分の性格を非常に深いもののように思っているのを見た。彼らは大抵いわゆる近代的の憂愁と敏感とを深い性格の人の特徴として考えているらしい。私も憂鬱をもって偉大なる性格の人の唯一ではないが唯《ただ》一つの特徴であると考えること、また彼らの性格の強さと深さとがそこに根柢をもっておるとすることを非難しようとは思わない。ただ私は私たちに陰鬱な感じを与える人に、浅くはあるが濁っているために暗く感ぜられる人とその人が奥底にもっておる深い闇のゆえに暗く感ぜられる人との二つの種類があることに注意したい。前者には素直さと純粋さとがない。彼らの心は拗ねて卑屈であり、自由を失って執拗であり、堕落させた感情の中へ自己を溺れさせて濁った涙を徒に外に向って流そうとする。私は感情や情調や気分や涙の価値を誰にも劣らず認めているつもりであるが、私自身が経て来た経験からそれらのものが純粋さを失うとき、いかに私たちを堕落させるものであるかを痛切に感ぜざるを得ない。ま
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