て出現するのに出会うであろう。このとき叫ばれるのはいつでも思想の危機である。思想の危機の叫びは、かくのごとく、現実においては思想の性格ということに最も多く関係している。思想の危機の叫びのうちに表現されるものは、思想における理論的なものでなくて性格的なものである。
 思想の性格というのはひとつの実践的な概念である。それは思想が思想である限りの思想に属するのでなく、思想が人間社会に働きかける関係についての規定である。私が思想の性格の名のうちに数えたところの善悪という概念が道徳的、実践的な概念であることがそれを示している。もしそうであるならば、思想の性格の中には社会の構成そのものが反映されているのでなければならぬ。この社会が階級的構成のものであるとするならば、思想の性格は階級的な言葉であるはずである。社会の階級的構成は支配階級と被支配階級とに分れている。そしてこの支配被支配の関係が思想の性格としての善悪をおのずから定める。換言すれば、支配階級の利益を表現する思想は、思想として、善き思想であり、そして反対に被支配階級に仕える思想は、思想として、悪しき思想である。すなわち、一定の階級の社会上の優
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