って初めて思想は運動し、発展し得るからである。思想はその対立者によって否定されると同時に、このものの媒介によって自己の一面性と制限性とを脱して自己を止揚する。抽象的なものは具体的となる。かかる過程を通して対象は初めて全面的に把握されるに到るのである。このようにして危機こそ思想の富を作るものであり、生命をなすものである。危機のないところには、ただ凝固と死がある。
もしそうであるならば、真理を求める思想家にとっては、思想の危機はまさに歓迎すべきものである。自己の思想を否定するもの、それに矛盾するものが現われるとき、彼はいたずらに悲しんだり、恐れたり、憤《いきど》おったりすることをしない。彼はそこに自己の思想の批判の契機を見出し、喜んでこの契機を捉え、それを媒介とすることによって、自己の思想を発展せしめ、具体的ならしめることを知っているからである。彼の思想家としての活動がこのとき最も活動的となる。思想家たる彼はこのとき最も生き甲斐を感ずるであろう。彼の思想は固定したもの、死んだものから、運動するもの、生命あるものとなったからである。真実に人生を生きようと欲する者は、生活における危機の経験が
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