のは実践的なものに必然的に転化する。しかるにこの転化は、この場合、実に理論そのものの否定を意味する。思想の危機が本来階級の危機であるからである。独断論が本質的にはなんら思想そのものの上に立つのでないからである。このようにして、一定の階級によって階級的な立場から、実践的に思想の否定が行なわれるに到って、思想の危機はまさしく思想そのもの[#「そのもの」に傍点]にとっての危機となる。

 我々は思想の危機にあたって理論的なものが実践的なものに推移してゆくのを見た。しかも同時に我々はそこにおいて理論そのものの否定が実行されているのを知った。かくのごとき場合においては、理論的意識はもはや単なる理論的意識としてとどまることが出来ない。独断論における理論より実践への転化がまさにそのことを教えるのである。実践を理論から分離することが純粋に理論的意識を維持する所以であるとする見方は、思想の危機にあっては、なんら現実的なる理論的意識であることが出来ぬ。思想の危機にあっては、このような見方こそかえって理論的意識そのものを死滅させることとなる。それはこのとき、思想そのものにとってはむしろ「危機の思想」であるの
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