のは実践的なものに必然的に転化する。しかるにこの転化は、この場合、実に理論そのものの否定を意味する。思想の危機が本来階級の危機であるからである。独断論が本質的にはなんら思想そのものの上に立つのでないからである。このようにして、一定の階級によって階級的な立場から、実践的に思想の否定が行なわれるに到って、思想の危機はまさしく思想そのもの[#「そのもの」に傍点]にとっての危機となる。
我々は思想の危機にあたって理論的なものが実践的なものに推移してゆくのを見た。しかも同時に我々はそこにおいて理論そのものの否定が実行されているのを知った。かくのごとき場合においては、理論的意識はもはや単なる理論的意識としてとどまることが出来ない。独断論における理論より実践への転化がまさにそのことを教えるのである。実践を理論から分離することが純粋に理論的意識を維持する所以であるとする見方は、思想の危機にあっては、なんら現実的なる理論的意識であることが出来ぬ。思想の危機にあっては、このような見方こそかえって理論的意識そのものを死滅させることとなる。それはこのとき、思想そのものにとってはむしろ「危機の思想」であるのである。ここに私はかかる非現実的な危機の思想として現われている一、二のものを挙げておこう。
そのひとつは形式主義である。形式主義者は考える。理論は理論としていつでも形式的なものである。したがってそこには階級性などはあり得ない。彼らは階級を超越した理論を求める。しかるに理論は、それが現実的な理論として、現実の社会と連絡をもちそれに働きかけ得るものである限り、現在の階級社会ではつねに階級的な性格をもたざるを得ないから、そこで彼らは非現実的な理論を意識的に求めることになる。そして彼らは彼らの理論の非現実性に、普遍妥当性または永遠性などというがごとき美しき札を張りつける。例えば、彼らは、普遍妥当的な真理があるということを論理的に証明し得ると称して、――相対主義は自己矛盾に陥る、なぜなら相対主義をいやしくも意味あるように主張し得るためにはこの主張そのものが絶対性をもたねばならず、したがって少なくともひとつは絶対的な真理がある、という。かくのごとく形式的には、真理の普遍妥当性は証明されることが出来よう。絶対的な真理はある、しかしそれでおしまいだ。その真理が内容的には何であるかを我々は知ろうと欲しているのである。形式主義は形式を説くことによって我々の認識を豊富にすることなく、形式に固執することによってかえって我々の認識を貧困ならしめる。形式主義は最も多くの場合我々の認識活動を停止せしめることを我々に命ずる。かくしてそれは我々の具体的な理論的意識を満足させることなく、思想の危機に際してはそれは、我々の認識を窮乏ならしめる論理であることによって、かえって反動的な役割を演ずる。――他のものは自由主義である。今日、自由主義者は行為の自由と研究の自由とを区別する、そして思想研究の自由は認めるもそれを行為において実現することはこれを認めることが出来ぬ、と考える。しかるにかかる自由主義は現在の社会において我々はこれを徹底し得るであろうか。なるほど、危険思想の研究が自由に許されているとする、そこでいまひとりの者がこの思想を研究しているとする、しかし彼はまさに危険思想の研究者なる故をもって、会社でも、銀行でも傭ってくれず、否、大学においてさえ使ってくれない。研究の自由は彼にとって貧困の自由を意味する。彼の研究の自由はかたっぱしから彼の行為の自由によって否定されてゆく。行為の自由を得ようと思えば、彼は研究の自由を否定しなければならぬ。自由主義は階級社会の中では現実的に存在し得ないのである。
思想の危機にあたっては、理論的意識は実践と結びつくことによってのみ現実的であることが出来る。このとき実践はもとより単なる理論の否定ではない、それは独断論者のことである。実践は理論にまで高められ、理論は実践にまで深められ、かくて理論と実践との弁証法的統一がなければならぬ。理論と実践との弁証法的統一の上に立つ理論的意識のみが、思想の危機に際して、ただ一つの現実的なる理論的意識である。しかるにかくのごとき理論的意識は今や社会的に危機にある階級、すなわち支配階級の中では獲得されることが不可能である。彼らは危機を絶対的なる危機として受取らざるを得ないが故に、弁証法的に危機を思惟することが出来ない。この危機を弁証法的に把握し、そこにむしろ未来の発展に対する展望を認め得るものは、未来を約束されているところの新興階級である。
これが思想の危機の理論である。
[#地から2字上げ]――(一九二八・一二)――
[#地付き](『改造』一九二九年一月号)
底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房
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