ことができる。その一つの意味ではゲーテは十分豊かに歴史的意識を具《そな》へてゐた。然しそれだけ、他の意味では彼は非歴史的であつた。一つの意味における歴史性を彼において明かにすることは他の意味における彼の非歴史性を明かにすることとなり、他の意味における彼の非歴史性を明かにすることは一つの意味における歴史性を彼において明かにすることになる。ゲーテと歴史の問題についての議論はこれまで、歴史的意識の本質が明確に把握され、規定されてゐないために、虚空に彷徨してゐる場合が少くなかつた。二、自然と歴史とは固《もと》より相対立する概念でありながら、しかも現実的な歴史の概念は、その弁証法的要素として、単に外面的にのみでなくまた内面的に、或る特殊な自然の概念を含まなければならない。かくの如き歴史における内面的に自然的なものが何であるかは、ゲーテについて明瞭に示され得るであらう。然し第三に、我々の研究は、ゲーテに親和的に感じ、その伝統を継がうとする現代の歴史学の或る傾向に対する批判の意味を含むであらう。ゲーテは自然概念をもつて歴史を考へる最も模範的な且つ最も豊富な場合を現はしてゐる。然しながら、彼の明示もしくは明示したものが歴史学にとつて如何に魅惑的であるにしても、それはなほ自然を基礎とし、従つて歴史と自然とが相対立するものである限り、固有なる歴史概念ではあり得ない。或は逆に現代の歴史学の或る傾向における根本概念をゲーテにおいて根源的に解明し、それがもと自然を基礎とするものであることを示すことによつて、我々はそれを批判し得るであらう。
二
ゲーテは直観の人、眼の人間であつた。明瞭な、形態ある、限定された、体現的な直観が彼にとつては実在性の尺度である。ただ直観的なもののみが実在的である。歴史に対する彼の不信も、歴史が伝来物によらねばならぬ限り、彼の眼に向つて語らず、彼の思惟《しい》に訴へねばならぬためであつた。伝来物は出来事について[#「ついて」に傍点]のものであり、そしてしばしば出来事についてですらなく、寧ろ伝来されたものについてのものであり、これを基礎とする限り歴史は、自然及び芸術の諸形態の如く、直接的な体現的な直観を供しない。直観の欠如といふことがゲーテの歴史に対する関係の乖離《かいり》であつた。それだから反対に、間接的な、そして多くは疑はしい、従つて歴史的批評への迂回を経ねばならぬやうな史料の上に立つことを要せず、体験と直観とから造形し得るやうな領域、即ち自己自身の生涯については、彼は第一流の歴史家であることができた。『わが生涯から、詩と真実』がこれを証してゐる。
然しまたゲーテが直観の人間であつたことは却《かえっ》て、彼を歴史と親和的ならしめるのではなからうか。「私の全歴史研究は、私の風景スケッチ及び私の美術研究と同じく、直観に対する甚大な渇望から生れた。」と歴史家ブルックハルトが書いたことがある。如何に多くの、断片的な、無味乾燥な史料の中を潜らなければならないにせよ、歴史家の求めるものは結局、歴史的事象そのものの直観ではないであらうか。歴史と自然科学との相違は、一方が特殊から普遍的な法則の設定へ進むに反し、他方は経験に与へられた特殊の傍にとどまる点にあると云はれ、そして歴史を一種の芸術と見る理論家もある。シラーは上に記した有名な書簡の中で、ゲーテの精神を思弁的精神に対する直観的精神として規定し、思弁的精神が統一から出発するに反して、直観的精神は多様から出立すると述べてゐる。歴史的なものは固より単なる特殊でなく、普遍によつて貫かれたものでなければならぬであらう。さうすればゲーテの精神はいよいよ歴史と内面的に結び付き得た筈である。「個々のものの上に光を得るために、あなたは全自然を総観される、自然のもろもろの現象の仕方の全体のうちに、あなたは個体に対する説明根拠を探り出される。」「直観的精神が天才的であり、そしてそれが経験的なもののうちに必然性の性格を探り出す場合、それはもとよりつねに個体を、しかし類の性格と共に作り出すであらう。」とシラーは述べてゐる。かやうな天才はゲーテにおいて、ランケの云つた如く、大歴史家となり得る素質を形作つてゐたであらう。それは少くとも彼を、ヘーゲルを思弁的として排斥したランケ、或は歴史を一種の芸術と見做《みな》したブルックハルト流の歴史家となすことができたであらう。ゲーテが自然における個々のものの丹念な観察からその中に横たはる普遍的なものの直観を得たやうに、ランケは歴史における個々のもの、個々の過程に関する史料の申立ての正確な訊問から普遍的なものの直観にまで自己を高めた。「対象を観察するにあたつてはつねに、ひとつの現象がそのもとに現はれるあらゆる条件を精細に調べ、現象をできるだけ完全に捉へることを志すといふのが、この上ない義務である。なぜなら現象は結局互に連繋を有し、或は寧ろ互に錯綜し合ふやうに余儀なくされるのであるから。そして研究者の直観にも一種の組織を作り、その内部的な総生命を顕示するのでなくてはならない。」これは、ゲーテの物理的研究に際し彼に迫つて来た確信であつた。然るにこれはまた、ランケの世界史的構想の標語ともなることができたであらう。
ゲーテの直観は個々のものを個々のものとして捉へるのでなく、特殊のうちに同時に普遍的なものを見た。色彩論への序文の中で彼は書いてゐる。「物を単に一瞥することは我々に役立ち得ない。あらゆる瞥見は観察へ、あらゆる観察は熟思へ、あらゆる熟思は結合へ移り行き、かくて、我々は世界のうちへ注意深く眺め入る凡《すべ》ての場合において既に理論してゐるのである、と云はれ得る。」また彼は他のときに云つた、「あらゆる事実的なものが既に理論であるのを理解することは最高のことであらう。空の青色は我々に色彩学の根本法則を啓示する。ひとは現象の背後に何物をも決して求めてはならぬ、現象自身が理説である。」普遍は特殊のうちにすでに現はれてゐる。ひとはそれを、現象を超えて、現象の背後に、現象から離れて、求めることを要しない。自然が「精神に啓示しないものを、汝は槓杆《こうかん》や捩子《ねじ》をもつてむりやりに取つて来ることはできぬ。」単なる計量によつては生命ある普遍は捉へられない。真の普遍は特殊のうちに含まれ、特殊において直観される。今日、歴史学において重要な意味を有する Typus といふ概念はもと、かくの如き普遍を指すであらう。歴史を Typologie と見る見方はゲーテにおいて教師を見出さねばならぬ。或は寧ろ、ゲーテ的な直観、体験及び世界観の基礎の上に初めてテュポロギーは、その固有なる意味において成立することができる。テュプスはゲーテの形態 Gestalt もしくは原現象 〔Urpha:nomen〕 の意味のものでなければならぬ。かかる原現象とは何を謂《い》ふのであるか。「我々が経験のうちに認めるものは多くの場合いくらか注意すれば一般的な経験的命題のもとに持ち来たされ得るやうな事例のみである。この経験的一般命題は更に科学的命題のもとに従属させられ、それは一層高いものを予想する。そしてその場合、現象してゐるものの若干の欠くべからざる条件がより詳しく我々に知られるやうになる。かくて凡てが漸次に高次の規則や法則に従属させられて行くのであるが、それらの規則や法則は言葉や仮説を通じて悟性に開示されるのでなく、いはば現象を通じて直観に現示されるのである。我々はそれらを原現象と名付ける。」即ち原現象とは或る普遍的なものである。然しそれは抽象的、悟性的なものでなく、この意味で法則といふよりもイデーもしくはエイドス(形態)であり、しかもこの場合イデーは経験から離れたものでなく、経験に即して直観され得るものである。それはイデー的なものとしてゲーテにおいて安全性または合目的性の感情と結び付いてゐた。「人間が到達し得る最高のものは驚異であり、そして彼を原現象が驚異せしめるとき、彼は満足すべきである。より高きものをそれは彼に与へ得ず、またより先きなるものを彼はそれの背後に求むべきでない。ここに限界がある。」もしテュプスがかやうな原現象の意味のものであるならば、それが単なる型或は類型を意味し得ないことは明かである。テュプスは寧ろ生ける普遍として形成法則 Bildungsgesetz と解せらるべきであらう。我々はこの概念がゲーテ的な原現象の意味を失つて、抽象的形式的な型もしくは類型の意味のものとなるとき、それが歴史にとつて外的なものとなり、従つて何等生産的でないものとなつてゐるのをしばしば見ないであらうか。今日人々はテュプスの概念をかかる堕落から救ひ、歴史の内面的形式として開示しようと努めてゐる。形態の概念も、例へばフリーデマンの『プラトン、彼の形態』(一九一四年)、或はシュペングラーの『西洋の没落』(第一巻「形態と現実」一九一八年)などにおいて歴史の領域へ導き入れられた。
然るに我々はかくの如き直観がまたまさにゲーテを歴史から離反せしめたといふことに注意しなければならない。特殊と多様とのうちに見られる普遍的なものはゲーテにとつて必然的なもの、従つて繰返すものを意味した。かかるものは自然のうちには見出され得るとしても、歴史は自由なもの、肆意《しい》的なるもの、一回的なるもの、奇異なるもの、絶えず新しきものを現はしはしないか。浪漫主義者はそのためにこそ歴史によつて誘惑される。「詩人は偶然を熱愛する。」とノ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーリスは云つた。ゲーテは反対に必然性が欠けている故をもつて歴史から眼を背ける。歴史は彼にとつて「誤謬《ごびゅう》と強力との混淆物」と見えた。彼の直観は歴史的なものにおいて自己に好ましく、ふさはしき対象を見出し得ない。このものは既にあまりに多くの素材、あまりに少い形式を含んでゐる。歴史は、それが普遍的なもの、常住なものを現はしてゐる限りにおいてのみ、彼の興味を惹くことができた。或る時彼はエッケルマンに向つて語つた。「イギリスの歴史は詩的描写にとつてすばらしいものである、なぜならそれは或る立派なもの、健全なもの、それだから繰返されるところの普遍的なものであるから。フランスの歴史はこれに反して詩に適しない、なぜならそれは再びやつて来ないひとつの生の時期を現はすから。」かくの如く歴史のうちに恒常なもの、繰返すものを求める心も、固より或る種の歴史家にとつては縁のないものではなからう。上に云つた如く歴史において直観の渇望を充たさうとしたブルックハルトは書いてゐる。「歴史哲学者たちは過去のものを我々発展したものに対する対立及び前階として観察する、――我々は繰返すもの、恒常なもの、テュプス的なものを、我々のうちにおいて共鳴するもの、理解し得べきものとして観察する。」然しながら、恒常なもの、繰返されるものは、本来歴史的でなく、寧ろ自然的なものでないか。まことにゲーテの世界観の根柢をなしたのは自然の概念であり、自然の生産物として歴史的なものもゲーテを関心せしめたのである。歴史的人間的なものは、彼がそれを自然的なものとして表象し得た限り、彼の興味を惹いた。従つて我々がゲーテにおけるテュポロギーについて語るならば、それは特殊の意味を含まなければならない。ひとはそのことを、例へば、ゲーテの『※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイスター』とヘーゲルの『精神の現象学』とを比較することによつて理解し得るであらう。もしも前者を伝記と見るならば、後者もひとつの伝記、ほかならぬ世界精神の伝記である。ヘーゲルの現象学も一の最高の意味におけるテュポロギーであつた。そこに叙述されたのは意識の諸形態 Gestalten des Bewusstseins 即ち意識の発展における種々なるテュプス的な段階であつた。そしてそれらはヘーゲルにおいては意識の歴史形態であり、その材料も多くは思想の歴史から取つて来られている。然るにゲーテが好んで描いたのは「人間生活の自然形態」、「我々の種族の常住な自
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