るに従ひ、歴史に対する疎隔は益々顕はになつたやうである。グンドルフによると、ゲーテのイタリア旅行は彼に二つの否定的な結果、即ち一方歴史に対する、他方政治に対する、決定的な離反をもたらした。これらのものの嫌悪は、ゲーテの本性のうちにもともと存してゐたのであるが、イタリア旅行によつて自覚されると共に基礎付けられるに至つた。この見方は尤《もっと》もあまりに一面的であると云はれよう。その第二部においてファウストはまさに社会的実践家として現はれており、またひとは『※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイスター』の中から社会的政治的思想を読み取るに困難でない。然しながら、古典的は本来どこまでも歴史的と相背反するのではなからうか。その手法はグンドルフと甚だ相違するにせよ、シュトリヒも同じく古典的と歴史的との乖離《かいり》を説いてゐる。シュトリヒは歴史への相反する関係のうちに浪漫的と古典的とのひとつの明確な対立点を見出す。浪漫主義が歴史に対し親和的であつたに反し、古典主義は歴史に対して真に敵対的な態度をとつた、前者が特殊な時間の感情をもつて浸潤せられてゐたに反し、後者は無時間的な持続を、ゲ
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