キると見えた凡《すべ》てのものもそれにとつては貫き通し得るものであつた。それは我々の存在の必然的な諸要素を気儘《きまま》に処理するやうに見えた。それは時間を収縮し、時間を延長した。ただ不可能なもののうちにあつてのみそれは得意であり、可能なものを軽蔑して斥《しりぞ》けるやうに見えた。」かかるデモーニッシュなものは「主として人間と最も不思議な関係をもち、そして道徳的世界秩序と相対立せぬまでも、それと相交叉する力を形作つてをり、かくて一を経とし、他を緯と見做すこともできやう。」即ちゲーテによれば、デモーニッシュなものはイデー的なものではなく、寧ろ自然的なものであり、偶然的なものでありながらなほ且つ必然的なものである。また彼はそれを或る全体的なものと考へ、建築の効果の説明に際して、「全体の効果はつねに我々がそれに服するデモーニッシュなものである。」とも云つてゐる。更に彼はデモーニッシュなものはあらゆるライデンシャフトに伴ふのがつねであると述べた。それはもちろん或る否定的なものの意味を離れないけれども、決して単に破壊的に否定的なのでなく、却て「全く積極的な活動力のうちに現はれる」ものである。従つ
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