Xはこの問題に肯定的に答へて、かの 〔das Da:monische〕 の概念が恰《あたか》もかかるものに相応することを示さうと思ふ。デモーニッシュなものとは一般的に云つて歴史における自然的なものを意味した。ゲーテがこの概念について述べたのは、彼の自然哲学上の諸著作においてではなく、却てつねに歴史に関係してであつた。この語は所々に現はれてゐるが、特に詳細に説明されてゐるのはゲーテの自伝なる『詩と真実』の中においてである。
『詩と真実』の第二十章に記すところによれば、デモーニッシュなものはただ矛盾においてのみ運動し、顕現され、従つて何等の概念、如何なる言葉のもとにも捉へられ得ぬものである。曰く、「それは神的でなかつた、なぜならそれは非理性的に見えたから。それは人間的でなかつた。なぜならそれは悟性をもたなかつたから。それは悪魔的でなかつた、なぜならそれは慈悲的であつたから。それは天使の如きものでなかつた、なぜならそれは往々他の不幸を愉快がるのが見えたから。それは偶然に似てゐた、なぜならそれは何等の帰結も示さなかつたから。それは摂理に似通つてゐた。なぜならそれは連関を示唆したから。我々を制限
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