、蜂は全体の頭と見らるべきものである。どうしてかうなるかは不思議で、明言することが困難だ。然し私はそれについて私の思想をもつてゐると云つてもよい。このやうに民族は、半神の如く先頭に立つて守護と安寧となるやうな民族の英雄を作り出す。かくてフランスの詩的能力はヴォルテールに集中した。一民族のこのやうな頭はそれが活動してゐる世代にあつては偉大である。後々まで持続するものも多いが、大部分は他の頭と取り換へられ、次の時代からは忘れられる。」ゲーテの社会観が族長的社会主義ともいふべきものであつたことも、このやうな考へ方と符合するであらう。然るにこのやうな考へ方は一の Analogistik と見らるべく、そしてこのものは一般に有機体説の特徴のひとつをなしてゐる。或は寧ろ、アナロギスティクは有機体説の基礎の上において初めてその十分な意味と内面性とを有すると考へられるべきであらう。ところでゲーテにおいては、人間及び社会が自然と見られたやうに、自然もまた或る人間的なもの、文化的なもの、精神的なものと見られた。かの『自然の体系』に見られるが如きフランス唯物論の自然観に対してゲーテは夙《つと》に強い反発を感
前へ 次へ
全62ページ中47ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング