見られるやうに、あまりにフィヒテ的に解釈することを慎しむべきであらう。行為も彼にあつては直観と離れず、それ故に未来によつて特殊にアクセント付けられた実践でなく、寧ろ体現的な現在的なものであつた。そして直観は彼においてつねに造形的、生産的性質のものであつた。然しながら、固有なる歴史的意識を与へるものは根本において観想でなく実践であるとすれば、ゲーテには歴史的意識が欠けてゐたと云はれるのはまた当然であらう。歴史的意志はまさに一回的なものを意欲する。それによつて歴史的意志は消滅的なものを意欲するのでなく、却て永遠なるものを意欲するのである。かくの如く矛盾せる歴史的意志は、瞬間に集中されることによつて自己を徹底する。瞬間は現在であるが、永遠の現在ではない。寧ろ瞬間は未来によつてアクセント付けられた現在である。実践を根柢とする歴史的意識にとつて現在は瞬間であるに反し、観想の立場を離れないゲーテにとつては現在は永遠であつた。歴史への通路は彼にはただ生の側からしてのみ開けてゐたが、生とはこの場合直観的なもの、現在的なもの、生産的なものを意味する。かかるものがまた彼にとつて真理と実在とを意味した。伝来
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