によつて詩となる。遠い山、遠い人間、遠い出来事。凡てのものは浪漫的となる。」と云ふ。然るにゲーテにとつては「瞬間が永遠である。」遠さの魔力のもとに立つことは生ける生命を失ふことである。彼が浪漫的を病的なものと考へたのは当然である。歴史が単に過去のもの、滅びて行つたものを意味する限り、それは彼にとつて何のかかはりももたぬ。事物の消滅性、その意味での歴史性について仰々しく語る人々のために彼は悲しみ、「我々は実に消滅的なものを不滅的ならしめるために生れてゐるのでないか。」と云ふ。力説されるのは飽くまで現在の行為である。歴史への関心が過去への単なる憧憬である限り彼はそれを却ける。「ひとが振り返つて憧れねばならぬやうな如何なる過去のものも存しない。ただ過去の拡大された諸要素から形作られる永遠に新しきものが存するのみである。そして真正の憧憬はつねに生産的であり、新たなるより善きものを作り出さねばならぬ。」ここに生産的憧憬といふ語をもつて表現された如く、ゲーテにとつて歴史への通路はただ生の見地からのみ開けてゐる。歴史的なものは、それが現在の生へのはたらきかけ、これを生産的ならしめる限り、彼に対して意
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