然形態」である。ヘーンの美しい言葉を借れば、「これらの形態は単純で直接的であり、快活であると共に真面目で、喜劇的でも悲劇的でもない、それは最も遠い古代と最も近い現代とを結合し、実にそれは高等な動物世界と人間世界とに共通である。凡ての特殊なものは、かやうにそしてこの基礎の上で観察されて、容易にそして抑止なしに普遍的なものへ解消する、それはこのものによつて絶えず繰返して引戻される。風習や社交的秩序の諸要求は単に自然的な生活の諸過程として現はれる、それの支配は判定されるのでない、それは感ぜられない、それは凡てのものを、さうあるほかなく、それに反抗することは無意味であるやうに、いとも静かに包むのである。」かくの如き態度がノ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ーリスをして『※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイスター』に不満を抱かせた。そこには奇蹟的なものがない、それは散文であり、「市民的家庭的物語」に過ぎない、と彼は考へた。ゲーテの心は歴史の領域においても人間的本性における普遍的なもの、恒常なもの、自然的なものに向つたが故に、いはゆる歴史的或は政治的事件に対して多くの興味を感じ
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