への迂回を経ねばならぬやうな史料の上に立つことを要せず、体験と直観とから造形し得るやうな領域、即ち自己自身の生涯については、彼は第一流の歴史家であることができた。『わが生涯から、詩と真実』がこれを証してゐる。
 然しまたゲーテが直観の人間であつたことは却《かえっ》て、彼を歴史と親和的ならしめるのではなからうか。「私の全歴史研究は、私の風景スケッチ及び私の美術研究と同じく、直観に対する甚大な渇望から生れた。」と歴史家ブルックハルトが書いたことがある。如何に多くの、断片的な、無味乾燥な史料の中を潜らなければならないにせよ、歴史家の求めるものは結局、歴史的事象そのものの直観ではないであらうか。歴史と自然科学との相違は、一方が特殊から普遍的な法則の設定へ進むに反し、他方は経験に与へられた特殊の傍にとどまる点にあると云はれ、そして歴史を一種の芸術と見る理論家もある。シラーは上に記した有名な書簡の中で、ゲーテの精神を思弁的精神に対する直観的精神として規定し、思弁的精神が統一から出発するに反して、直観的精神は多様から出立すると述べてゐる。歴史的なものは固より単なる特殊でなく、普遍によつて貫かれたもの
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