くは明示したものが歴史学にとつて如何に魅惑的であるにしても、それはなほ自然を基礎とし、従つて歴史と自然とが相対立するものである限り、固有なる歴史概念ではあり得ない。或は逆に現代の歴史学の或る傾向における根本概念をゲーテにおいて根源的に解明し、それがもと自然を基礎とするものであることを示すことによつて、我々はそれを批判し得るであらう。

        二

 ゲーテは直観の人、眼の人間であつた。明瞭な、形態ある、限定された、体現的な直観が彼にとつては実在性の尺度である。ただ直観的なもののみが実在的である。歴史に対する彼の不信も、歴史が伝来物によらねばならぬ限り、彼の眼に向つて語らず、彼の思惟《しい》に訴へねばならぬためであつた。伝来物は出来事について[#「ついて」に傍点]のものであり、そしてしばしば出来事についてですらなく、寧ろ伝来されたものについてのものであり、これを基礎とする限り歴史は、自然及び芸術の諸形態の如く、直接的な体現的な直観を供しない。直観の欠如といふことがゲーテの歴史に対する関係の乖離《かいり》であつた。それだから反対に、間接的な、そして多くは疑はしい、従つて歴史的批評
前へ 次へ
全62ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
三木 清 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング