スら、私はありのままの人間に通じなかつたであらう。」と彼は云つた。「自然は全然|洒落《しゃれ》を解しない、それはつねに真実で、つねに真面目で、つねに厳格である。」従つて自然は我々の物の見方にとつての試金石でなければならぬ。けれどもそれだからと云つて、ゲーテは単なる客観主義者であつたのでもない。寧ろ彼が嘗てヘーゲルに就いて語つたといふ次の言葉が、彼自身の立場を甚だ適切に言ひ表はしてゐる。「客観と主観とが相触れるところに生命がある。ヘーゲルが彼の同一哲学をもつて客観と主観との間の中間に身をおきそしてこの位置を動かぬならば、我々は彼を称讃しようと思ふ。」ひとはこのやうな立場を中間の立場 mittlerer Standpunkt とも呼んでゐる。ゲーテにとつて中間の立場は彼の直観の立場において可能にされ、保証されてゐた。一七九八年六月三十日付のシラーへの書簡の中で、ゲーテは、上から下へ降る自然哲学と、下から上へ昇る自然研究家とについて述べ、そして「私は少くともその中間に立つ直観のうちにおいてのみ私の安心を見出す。」と書いてゐる。彼は自然哲学者及び自然研究家に対して自己を自然観照者として性格付けた。
かかる意味での自然観照者としてのゲーテの眼に映じた自然は、有機的発展をなすものであつて、弁証法的なものでなかつた。弁証法は彼には寧ろ思弁的なもの、また詭弁的なものと感ぜられたであらう。エッケルマンの録するところによれば、ヘーゲルがゲーテに向つて、「弁証法は根本において整理され方法的に訓練された矛盾の精神にほかならず、この精神はいづれの人間にも内在してをり、その能力は真偽の区別にあたり偉大さを現はすものである。」と云つたとき、ゲーテは、「さういふ精神的技倆と才幹とがしばしば濫用《らんよう》され、偽を真とし、真を偽とするために用ゐられねばよいが。」と疑ひ、――そしてヘーゲルが、「さういふこともあるが、それはただ精神的に病的な人々がやるだけだ。」と答へたとき、ゲーテはなほ次のやうに語つてゐる。「私は自然を研究したため、さういふ病気が起らなくて幸福だ。といふのは、自然の研究では無限に且つ永久に真なるものを取扱ひ、このものはその対象の観察及び取扱にあたり全く純粋に且つ正直にやらない人を無能力者として排斥する。そして私は多くの弁証法的病人は自然の研究において有効な治療を見出し得るであらうと信じてゐる。」ゲーテの有機的世界観にとつてはどこまでも自然がその地盤であつた。これに反し弁証家ヘーゲルにとつては歴史がそのエレメントであつたのである。弁証法の欠くべからざる要素をなす飛躍乃至非連続の思想の如きは、ゲーテには堪へ難きものであつたに相違ない。彼はヘーゲルの哲学を有機体説的に解釈し得た限り――それは実際このやうに解釈され得る方面を多分に含んでゐる――それを尊重した。
かくして我々はゲーテにおける歴史の概念を探り、それを Typologie, Morphologie, Monadologie, Organologie, Mythologie 等の概念によつて性格付けて来た。これらの概念は彼において相互に繋り合ひ、貫き合つてゐる。それらの地盤をなすものはまさに自然であり、それらはまた人間の観想的態度と内面的に結び付いてゐた。かかる自然概念の哲学的特質は、私の歴史哲学の中で明かにしておいたやうに、それにおいては「存在」と「事実」とが単に内在的連続的に見られて、同時にまた超越的非連続的に捉へられないといふことである。換言すれば、そこでは存在と事実との関係が弁証法的に把握されてゐない。歴史的意識が彼に存した限り一面的であつたのもこのためである。却《かえっ》てゲーテの自然はこの場合スピノザ的自然と落ち合ふであらう。自然は「自己自身を享受せんがために、自己を分化展開した。」神の無限なる本質はただ生成の不断の流れにおいてのみ自己自身を享受し、自然はそれにおいて我々がかかる展開を我々人間の認識にとつて達せられ得る文字において、即ちシェムボル的に、読み取ることのできる開かれた書物である。「そしてあらゆる犇《ひし》めき、あらゆる闘ひは主なる神における永遠の安らひである。」
五
尤《もっと》も我々の信ずるところによれば、現実的な歴史の概念は或る自然の要素を欠くことができない。しかもそれは単に外的な自然といふ意味においてのみではないのである。現実的な歴史は、我々の用語に従へば、自然の「存在」と交渉するばかりでなく、「事実」としての自然的なものを含んでゐる。我々はこのやうな「事実」としての自然的なものを一般に運命の概念をもつて言ひ表はした。そこで問題は、かかる意味における自然的なもの、運命的なものの概念がゲーテのうちに見出され得ないかどうかといふことである。我
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