識し且つみづから歴史家として到達しようと企てたところのものを、断片的に、けれど原理的には既に完全に仕遂げたのである。もし彼の歴史的作物をかくの如く価値付けることが正しいならば、ゲーテの歴史に対する関係は積極的に打建てられなければならない。それは外面からでなく、内面から、彼の精神の本性と活動との特質からして理解されねばならぬ。理論でなく業績がゲーテにおいてこのことを要求する。そして単に彼の歴史的伝記的作物の内在的価値からばかりでなく、更に彼の与えた影響の方面からしても、我々はゲーテの歴史に対する関係のうちに或る内面的なもの、積極的なものが含まれてゐたことを十分に察知し得るであらう。ゲーテは彼の愛好者、研究家たちを教育し、彼等を立派な歴史家に仕上げるにあづかつて力があつた。※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]クトル・ヘーンの場合、ディルタイやグンドルフなどにおいて、さうであると云はれよう。或はまたシュペングラー、チザルツの如きもそれぞれ自己の歴史の方法のゲーテに対する関連を説いてゐる。かくてその業績及び影響の方面から見て、ゲーテの精神の本質と活動とのうちには歴史に対する或る親和的なもの、積極的なものが含まれてゐたと考へられる。
そこで問題を一層深め、ゲーテの歴史に対する関係を彼の全精神、全世界観の連関の中から示さうとするならば、今度は却《かえっ》て反対にこの関係における離反がいよいよ本質的に、いよいよ内面的に現はれて来るかのやうである。ゲーテの世界観における根本概念はまさに自然であつて、歴史ではなかつたのでないか。グンドルフは彼をスピノザと共に、自然汎神論者と称し、ヘルダーが歴史汎神論者であつたのに対立せしめてゐる。ゲーテはシュトゥルム・ウント・ドゥラングの運動を経験した。個性的なものの強調はこの運動の重要な要素であつた。彼はヘルダーから影響を受けた。ヘルダーはその生成の大いなる観念によつてドイツにおいて歴史的意識を有した最初の人であつた。それにしてもゲーテにおける根本概念は、もつとどこまでも自然であつたのでなからうか。青年ゲーテは彼の『ゲッツ』を「戯曲化された歴史」と呼ぶ。然るにこれの背景をなしたのはルソオ的な自然の思想と見られ得、このものは新興市民階級の政治的意識と結び付いてゐたが、それが非歴史的な観念であつたことは云ふまでもない。ゲーテが古典的人間として成熟するに従ひ、歴史に対する疎隔は益々顕はになつたやうである。グンドルフによると、ゲーテのイタリア旅行は彼に二つの否定的な結果、即ち一方歴史に対する、他方政治に対する、決定的な離反をもたらした。これらのものの嫌悪は、ゲーテの本性のうちにもともと存してゐたのであるが、イタリア旅行によつて自覚されると共に基礎付けられるに至つた。この見方は尤《もっと》もあまりに一面的であると云はれよう。その第二部においてファウストはまさに社会的実践家として現はれており、またひとは『※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイスター』の中から社会的政治的思想を読み取るに困難でない。然しながら、古典的は本来どこまでも歴史的と相背反するのではなからうか。その手法はグンドルフと甚だ相違するにせよ、シュトリヒも同じく古典的と歴史的との乖離《かいり》を説いてゐる。シュトリヒは歴史への相反する関係のうちに浪漫的と古典的とのひとつの明確な対立点を見出す。浪漫主義が歴史に対し親和的であつたに反し、古典主義は歴史に対して真に敵対的な態度をとつた、前者が特殊な時間の感情をもつて浸潤せられてゐたに反し、後者は無時間的な持続を、ゲーテは原型を、シラーは法則を求めた、と彼は論じてゐる。けれども古典的人間としても、ゲーテの精神とシラーのそれとの間には或る本質的な相違があつた筈である。誰よりもシラー自身がこれを意識し、かの一七九四年八月二十三日付のゲーテへ宛てた有名な書簡の中でこれについて見事に述べてゐる。そしてこの相違は丁度、ランケの云つた如く、歴史に対する二人の精神の相反する関係を基礎付けるのではなからうか。或はゲーテにおける古典主義は何等か浪漫主義を包括するに至らなかつたであらうか。一般にドイツの古典主義は古典主義としても浪漫的色彩を多分に含み、特にゲーテの『※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]ルヘルム・マイスター』の如きは単に古典的でなく、十分に浪漫的ですらある。それだからと云つて、我々はゲーテの世界観における根本概念が嘗て自然から歴史へ移つたことがあると考へることを許されない。かの比類なきロマンのうちに好んで描かれたのは、ヘーンの語を借れば、何よりも「人間生活の自然形態」であつた。もし自然と歴史とが相対立する二つの根本概念であるならば、ゲーテにおける発展は、その自然概念そのものにおける発展であつて、自然概
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