黷ェまた社会生活の上にも適用されることを希望した。そこでゲーテは全く原理的に、各々の国民はただ自己の自然に従つて、自己の自然的に制約された諸要求に従つてのみ生きることができ、生きるべきであり、また生きるのほかないことを力説したのである。「一の国民にとつて、他の国民の真似をすることなしに、自己自身の中心及び自己自身の要求から出たもののみが、善いものである。なぜなら或る一定の年齢にある一の民族にとつて有益な栄養であり得るものも、恐らく他の民族にとつては毒となるであらう。それだから何等かの外国の改革を移植しようとする凡《すべ》ての企ては、それに対する要求が自己自身の国民のより深い中心のうちに根差してゐない場合、馬鹿なことである。」更にゲーテは、国民的生活は本来自然的な発展を遂げるものであり、これに対して不自然なこと、暴力的なことを為し、もしくは為す動機を与へるのは政治家であり、政府であると考へた。要するに、ゲーテは革命主義者でなく改良主義者であり、急進主義者でなくて漸進主義者であつた。社会と歴史に関しても、「それは自然的でない」といふことが彼にとつて一切の批判と評価との根本的な基準であつた。凡ての種類の飛躍は彼には自然的ならぬものと見えた。彼はあらゆる場合において、何等かの事物または過程が示すやうに感ぜられる間隙《かんげき》もしくは飛躍を充たし、それを結び付ける移り行きを探し出さうと努力することを特に喜んだ。
 右の如き思想の根柢をなしてゐるのは明かに Organologie の思想である。我々はゲーテにおいて有機的発展の思想の模範的な場合に出会ふ。歴史及び社会は一の有機的自然と見られた。彼の社会哲学の最後の言葉は凡ての人間が有機的に仕事と活動とによつて結合するといふことであつた。社会と自然とは連続的に捉へられ、社会は一の高次の有機体と考へられる。次の言葉はこのことを甚だ明瞭に言ひ表はしてゐるであらう。「植物は節から節へと生長し、最後に花を開き実を結ぶ。動物界でも変りはない。幼虫、条虫と節から節へと進化し、最後に一つの頭が出来る。高等な動物及び人間においては脊椎骨《せきついこつ》が次第に結合して行つて、最後に頭が出来、そこに力が集中する。団体の場合に起ることも総じて個体の場合と変りがない。互に結び付く個体の系列なる蜂は、総体として、また最終をなす或るものを作り出す、即ち女
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